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<<   作成日時 : 2008/01/11 15:26   >>

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「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画(YOMIURI ONLINE)2007年12月25日11時39分

 【ブリュッセル=尾関航也】ベルギー北部フランドル(英名フランダース)地方在住のベルギー人映画監督が、クリスマスにちなんだ悲運の物語として日本で知られる「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成した。

-----中略-----

 物語では、画家を夢見る少年ネロが、放火のぬれぎぬを着せられて、村を追われ、吹雪の中をさまよった揚げ句、一度見たかったこの絵を目にする。そして誰を恨むこともなく、忠犬とともに天に召される。原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたが、欧州では、物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。

 プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36)は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。
-----後略-----

 3年もかけて出した答えが「滅びの美学」だそうです。ひょっとするとこれは、藤原正彦氏が「国家の品格」で言うところの「惻隠の情」とか「もののあわれ」ではないでしょうか。外国人からこのように言われるということは、まだまだ我国には「武士道」が蔓延しているということで、藤原氏や多くの方が心配しているようなことは杞憂なのかもしれません。

 二十歳前後の頃、私はよく日本人論を読んだのですが、ベルギー人の分析にしても「国家の品格」にしても、目新しいものは発見できず、もう飽き飽きしています。内容は否定しませんけどね。

 まずはこのベルギー人の場合、自分達を標準にして日本文化を評しています。「国家の品格」にしても、世界標準(欧米文化)と違う事象を摘み挙げ、自分達を特別な存在とし、それを誇りにしようと言っているだけです。これでは自他の文化を相対化できていないところは同じです。私には薄っぺらな分析に思えてしまいます。

 藤原氏は「論理の始点となる『情緒』を大切にしよう」と主張されていますが、30年近く前に読んだ多くの日本人論でも、日本人の特徴を「腹芸」と言ったりして、「曰く言い難し」なものとしていました。結局は言葉に表せないもの、感性(最近ではDNA)ということで、藤原氏の言う「情緒」も同じ様なものです。

   ◇

 このベルギー人の分析に関心を持ち、「国家の品格」に感心するくらいなら、私はそういう方には、山本七平氏の著作をお勧めします。まずは「比較文化論の試み」から読んでみては如何でしょう。…とは言っても、山本氏は100冊以上も本を出しているそうで、私はその中の25〜30冊くらいしか読んでいません。ですから山本氏を紹介するのに、もっと適した本があるのかもしれません。しかし今の段階では、これが一番だと思います。

 山本氏については、ユダヤ・キリスト教の知識に疑問があるとも言われますが、そんなことは重要ではありません。仮に他文化の分析に誤りがあったとしても、それは「ユダヤ教との対比」ではなく、極端な話、「架空の文化との対比」になるだけで、「相対化したものどうしの対比」ということに変わりはなく、これこそが重要で、そこから日本文化が浮かび上がってくるのです。そこが山本学の魅力です。

 この本は昭和49年の8月に行った講義をまとめたもので、だからでしょうか、口語体っぽくて大変に読み易い本です。ただ、本人も最後に「いろいろな話を漫然とした形になりましたけれども」と言っているように、系統だった形にはなっていません。しかし言わんとしていることはハッキリと解りますし、散りばめられた例などは、「目から鱗」の思いをさせられるものばかりです。

 例えば日本人の宗教観を例に挙げて、次の様に書かれています。
同情心というものがない
 <略>精神的な弱さとひとりよがりに加えて文化の確立がなかった。したがって文化の普遍性がなかったし、同時に反省する能力がなかった。これが日本がああいう状態[敗戦]になった一番大きな原因だと挙げておられるんです。
 私などから見ますと、これは非常に適切な指摘だと思うんですが、戦後一向にそういう指摘がありませんで、これと全く違ったとらえ方がなされているわけです。
 どういう捉え方かといいますと、たとえば次のような例があります。あるキリスト教系の大学で、毎年、新入生から「宗教」に関するアンケートをとってきた。そのアンケートの中で、つねに最大の比率を占めるのが「自分は宗教を必要としない。そういうものがなくても生きて行ける。しかし、だからと言って、否定しようとは思わない。弱い者や不幸なもの、また老人や女性には必要なものだろうと思う。だから、その点では理解もし、そういう人たちが何らかの宗教を信ずることに反対しようとは毛頭思わない。それはそれでよいと思う。しかし自分は必要としない」という考え方だといわれます。

なぜ自分がそう考えるのかの意識ゼロ
 こういう考え方は、非常に普遍的で、ほぼ普通の考え方と思いますが、しかし、そう考える人に「自分がなぜそう考えるのか」という意識が皆無なことも、また普遍的なようです。「なぜって、別に理由はないですよ。そう考えるから、そう言っただけです」がほぼ共通の言い方でしょう。
 そこで、そういう考え方は、吉田松陰とほぼ同じですが、あなたは自分の考え方が、伝統的な日本的な考え方だと思ったことがありますかと質問しますと、その人たちは一様に、非常に驚いた顔をします。
 松蔭の考え方と申しましたのは、彼が獄中からその妹に送った手紙のことです。この妹さんは松蔭のことを心配しまして、安心立命のため法華経を読むように、と言ってきたのですが、松蔭はそれに答えて、「自分はそういうものは必要としない、しかしおまえたち弱い女が、それを読むことは否定も非難もしない、それで安心立命が得られるなら大変にけっこうなことだ、…」といった返事を書いているからです。
 松蔭は言うまでもなく当時の知識人であり、したがってこの考え方は、日本の知識人乃至は知識人を目指す人には、ほぼ共通した考え方でしょう。そして、そういう考え方は、日本の文化から、比較的新しい時代にいわば徳川時代に則った考え方なので、そういう考え方があって少しも不思議ではないのですが、ここに、少々こまった問題も出てくるのです。
 と申しますのは、その考え方をする人が、自分の考え方がどこからきたのかということに、全く無関心、いわば「自分の考え方を歴史的に把握しなおす」ということをしないことです。<略>

自分の考え方は真理だと信じている
 としますと、その人にとって、この考え方は、世界のどこででも、またいつの時代にも、絶対に反対される気づかいのない「普遍的な真理」になってしまいます。
 こうなりますと、それを、そういう文化的伝統のない社会の人が見ますと、「ひとりよがりで同情心がない」ことになります。またそれによってどんな摩擦を生じても、「自分の考え方」を「ある時代のある文化圏のある考え方」と把握しなおしていませんから、「反省」は不可能になります。同時にこれは、相手との対比の上で自分の考え方を説明できませんから、普遍性は持ち得ません。<後略>
[敗戦]は管理人)

 学生時代は試験の為に歴史を学んでいましたが、山本七平に出会ってからは、自分との関わりや現在の我国との関わりを意識しながら学んでいます。例えば、私は思春期の頃からマスコミやマスコミに踊らされる世論にイライラしていたのですが、では我国のマスコミは何故そのように考え、発想するのか、とかです。これが「歴史的に把握する」ということでしょう。

 マスコミが政府を批判して言う「強行採決」にしても、聖徳太子の十七条憲法の「和を以って貴しと為し」の掘り起こしだと思うのですが、マスコミは全く意識していません。自衛隊と憲法の関係も、御成敗式目と律令制の関係に似ていて、その他の憲法問題も含めて、固有法(習慣法・自衛権)と継受法(律令・憲法)のせめぎ合いです。

 自衛隊は認める、でも憲法は変えたくない、こういった現代人は、律令制を破棄せずに政治を行った鎌倉・室町・江戸幕府と酷似しています。では、これらの幕府の考え方・思想とはどの様なものだったのか、何を自らの正統性としていたのか、そういったことを理解するのが、「自分の考え方を歴史的に把握しなおす」ということでしょう。「比較文化論の試み」にはありませんが、山本氏は別の著作で研究しています。

   ◇

 私はこのブログで「保守でありたい」と書いています。しかし、憲法を変えずに自衛隊を認める現代人の考えや、スグに「強行採決」と叫ぶマスコミが伝統に則っているからと言って、肯定している訳ではありません。無自覚・無批判に伝統に従っているだけでは危険なこともあるのです。

 例えば明治憲法です。この憲法も継受法です。戦前は統帥権干犯が問題にされ、そしてそれを盾に軍が暴走しました。同じく継受法である現憲法でも、左巻きが「思想・信条の自由」の「干犯」を問題にして、国旗・国歌を否定しています。

 これは「戦争になる・ならない」ということではなく、旧日本軍と左巻きは思考回路が同じだと言いたいのです。そしてこれは固有法と継受法の問題で、戦前も現在も、たいへん不安定な状態です。それを解決するには、やはり前提として「自分の考え方を歴史的に把握しなおす」ことは必要でしょう。

 また、問題と思うのが、最近話題となっている自民・民主の大連立です。ちょうどパラパラと「比較文化論の試み」を見ていると、こんな文章がありました。
日本にない対立概念
 もう一つ出てくる差は、彼らの対立概念という考え方です。そして彼らの言うような意味における対立概念というものが元来は日本人にないということです。<略>
 <略>たとえば、キリスト教というものには、そもそも、その始まったときから正統と異端というのがあるんです。<略>
 それでは、異端というのはキリスト教に入るのか入らないのかというのが問題なんですね。つまり、自分たちの持っているキリスト教という世界、この対象を把握するに当って、正統と異端という対立概念でとらえているのだということなんですが、このとらえ方は、宗教だけでなくあらゆる対象のとらえ方に出てくるんです。
<中略>
 たとえば、人間というものを善悪という対立概念でとらえる。人間は一人なんですけど、その”一”を善悪という対立概念でとらえる。国会は一つなんだけれども、与野党という対立概念でとらえる。で、対立概念でとらえうる間はそれが対象を確実にとらえており、したがってその対象は実在しているわけですが、とらえられない状態になったらそれはもう形骸化してなくなっている、という考え方です。
<後略>

 如何ですか?、スグに善玉・悪玉に分けて報道するマスコミの論調を思い浮かべませんか?。

 国会は西洋の思想を基にした憲法で規定されています。大連立によって、実質的に与野党がなくなってしまったら、国会が形骸化してしまうということです。小沢氏は政界再編を狙っているともいわれますが、小泉流に言えば「国会をブッ壊す」ということでしょうか。

 私には一種の「革命」のようにも思えるのですが、まぁ、それくらいのことをしなければ政界再編はできないのかもしれません。しかし問題は、「自分の考え方を歴史的に把握しなおす」ことをしていない国民やマスコミに、その意識が全くないことです。これでは日本がどうなってしまうのかがサッパリ予測できません。なのに「ねじれ国会を何とかしなければ」などという言葉に流されています。

 私としては、西洋式の国会が破壊された後、新しい日本式の国会が用意されている訳でもありませんから、自然と居心地の良い伝統的な形になってしまうような気がします。それは「無原則の話し合い至上主義」で、いわば「談合政治」です。今までですら与野党が談合しているとも言われてきたのですから、議論などなく、事前の談合で全て決まってしまい、本会議での採決など何の意味もなくなってしまいます。

 経済学など、様々に説明はできるのでしょうが、日本人の労働観や世界観などの思想的には、我国は「何だか解らないうちに破滅寸前」となり、また「何だか解らないうちに経済大国」になってしまいました。それを「情緒」とか「腹芸」とか、「曰く言い難し」としているだけでは、またいつか「何だか解らないうちに破滅」ということもあるかもしれません。

 どこの国のどの民族も、人間は自分達の文化の延長線でしか発展できません。当然、他文化に反発したり共鳴したりしながら影響は受けるでしょう。しかし幹となるのは己の文化です。先祖から受け継いだ自分達の考えを歴史的に把握し、無自覚の呪縛から開放され、自由な思索を得て、検討し、反省し、発展させましょう。(無学な私には難しいですが、頭の良い方、何方かお願いします)

 …ということで、とりあえず「自分の考え方を歴史的に把握しなおす」為の案内として、「比較文化論の試み」は適していると思います。

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 どこのサイトで読んだのか忘れましたが、山本氏は、香港だか台湾だかで商談か打ち合わせをしていて、あまりにも日本と違うのでイライラし、腹を立てていたそうです。そこで側にいた人が、「多くの日本人論を書いてて、外国との違いは充分ご存知のはずでは?」と訊いたところ、山本氏は「バカヤロー!、オレは日本人だ!」と応えたそうです。

 「なぁ〜んだ、偉そうなこと言ってても実際はダメじゃん」と受け取るか、それとも「文化とはそういうものだ」と受け取るかは、あなた次第です。もちろん私は後者です。山本氏の著作からは、そのことがヒシヒシと伝わってきます。

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