思うて学ばざれば則ち殆し

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help リーダーに追加 RSS 流石は伊藤博文

<<   作成日時 : 2007/01/04 22:42   >>

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教育の明日 速効を求むべからず(asahi.com)

 共感する部分もあるし、疑問に思う部分もあって、何だか不思議な思いのする社説です。この社説を私なりにまとめると、こんな感じになります。
 伊藤博文って明治の偉い方が、「教育はゆっくり進めるものだから速効を求めてはいけないし、政府が徳目を挙げて教育に関与してもいけない」と言ってます。でも流石の伊藤博文様でも時代の流れには逆らえなかったのか、「修身」を教科の筆頭に置いてしまいました。

 それからは教師への締めつけが強まり、「小学校教員心得」がつくられました。挙句の果てに「教育勅語」までできちゃって、その結果、軍がそれを利用して戦争へと突き進んでしまいました。

 教育基本法の改正論議では、教師が厳しく批判されましたね。これは明治に起きたこととソックリです。歴史は単純に繰り返すわけではありませんが、それでも過去に学ぶべきものも見つけた方がいいでしょう。

 その意味では、(例え朝鮮人の敵ではあっても)伊藤博文様の主張は参考になります。速効を求めず、もっとじっくりとこの問題に取り組んでいきましょうよ。
※()内は管理人のお遊びです

 この社説中の「国」を「政府」とすれば、私は概ね伊藤博文の主張に共感します。ただ社説子がこれを取り上げた時、頭の中には「愛国心」とか「伝統と文化を尊重」の徳目しか無かったようです。朝日新聞や左巻きの方々が崇め奉る「個人の尊厳」や「男女の平等」も、政府が関与すべきではない徳目の1つだってことを忘れています。

 それともう1点、「教育勅語」から天皇の神格化が進んだ、というようなことが書かれていますが、もっとチャンと説明して頂けませんかねぇ。現在の国民の感覚を当てはめると、当時も天皇を「聖なるご存在」と感じる感覚があり、だから「教育勅語」が機能した、とは考えられないでしょうか。

 いったいどっちだったのかをハッキリしてもらわないと、ここから論を進める朝日の社説にはついて行けません。不親切な社説です。

 ただ戦前で英米と対立した時や戦時中は、ナショナリズムから天皇を強く意識したことは想像に難くありません。それを「神格化」と言っているのでしょう。

 しかし戦時体制の元では、キリスト教国でもイスラム教国でも、また共産主義の国でも儒教の国でも仏教の国でも、そして神道の国でも、ナショナリズムが台頭するのは当たり前です。それを安易に「教育勅語」と結びつけるのはどういうことでしょう。

 結び付ける理屈が「風が吹けば桶屋が儲かる」よりも弱く、私には「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」としか思えません。

 全体の感想としてはこんなところです。次に細かなところに茶々を入れておきます。

   ◇

「近ごろは規範を守らず、社会のしきたりを損なうものが大勢いる。これは教学の本意ではない。道徳を教え、誠実品行を尊重させるべきだ」
 この言葉には驚きました。約130年前に明治帝が発っせられた「教学聖旨」なんですってね。今の言葉としても自然に通用します。

 しかしこの様なことは、いつの時代も言われていたことで、「今の若い奴はなっとらん!」ってのは、ピラミッドの壁画にもあるそうで、だたのジェネレーション・ギャップなんじゃないですかねぇ。ただ明治の変革期で、あまりにもギャップが大きかったと。それを明治帝は憂慮なされたのだと思います。

 しかし明治の頃は、「家庭崩壊」とか「村落共同体の崩壊」とかは聞きませんから、家庭や地域共同体がチャンとしていて、だから躾とか道徳教育は今よりはズッと良かったと思われます。

 ジェネレーション・ギャップとは、確かに若者にはハメを外して遊んでしまうところもありますが、基本的には、時代の変化によって価値観が変わり、古い価値観を持つ大人に対して若者が「今はそんな時代じゃね〜ヨ!」と反発することだと思います。

 要は、明治の頃は「教えられながらの不道徳」ってことで、それに比べて現在の教育の荒廃は、「教えられないでの不道徳」ってことです。私のこの考えが当たっているのかどうかはわかりませんが、もし当たっているのであれば、今の子供達はあまりにも可哀想です。

 論語の1節を思い出してしまいました。
教えずして殺す、これを虐(ぎゃく)と謂う。戒めずして成るを視る、これを暴と謂う。令を慢(ゆる)くして期を致す、これを賊と謂う。猶(ひと)しく人に与うるに出内(すいとう)の吝(やぶさ)かなる、これを有司と謂う。

 そう言えば「教学聖旨」って、「学校が制度化されてから、7年後」ってありますよね。でも教育基本法は改定されるまで60年です。それでもまだ速効を求めるなと言うのでしょうか、この社説子は…。気が長すぎませんか?

   ◇

「社会の乱れの大きな原因は、維新後の時代の変化にある。教育のせいだけではない」
 私の幼い頃もそうでしたが、憲法も教育基本法も知らずに「個人の自由だ!」とか言ってるガキがいます。そうやって自分のワガママを押し通しています。ですから教育基本法が原因でこの様な社会になったってのには実感がありません。私には憲法を経典と崇め奉る風潮、そういう社会が現在の教育の荒廃を招いているように思えます。

 私達は何を根本理念にして共同体としての国家を作っているのか、それを謳った憲法ならば、崇め奉るのも良いのかもしれません。しかし現憲法は、単に政府を縛る条文でしかありません。そんなものを崇め奉ってるから、おかしくなるような気がします。

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 やっぱり教育基本法よりも、こんな憲法に神聖性を感じている連中が多いところに、現在言われている道徳教育の問題があるんじゃないのかなぁ。

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