思うて学ばざれば則ち殆し

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<<   作成日時 : 2006/08/02 18:59   >>

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 さぁ、夏本番ですね。幽霊の季節がやってきました。皆さんは幽霊を信じますか?。「そんな非科学的なものは信じない」とか言いながら、「リング」などのジャパニー・ズホラーを怖がって楽しんでる方が結構多いのではないでしょうか。「神」についても同じで、「非科学的」と言われますが、日本では多くの方が初詣に行かれますし、多くの車には「交通安全のお守り」が掛かっています。

 この「科学的・非科学的」って何なんでしょう。これについては、私が尊敬する山本七平氏の「比較文化論の試み」という本に、福沢諭吉を取り上げて、次のように書かかれている部分があります。
『福翁自伝』にありますけど、お稲荷さんを開けてみたら石が入ってた。そこで、それを引っ張り出してきて別の石を入れておいた。ところが、やはりみんな疑念を持たずに拝んでる。まことにバカな話だ。あれは石に過ぎないし、石を替えても、だれに何の影響もないではないか。こう書いてるんですが、日本ではこういう態度を科学的っていうわけです。
(青字:管理人)

 山本氏は、諭吉の態度を「科学的」というよりも「啓蒙的」と言っています。これはそっくりそのまま現代の日本人の態度と言って良いでしょう。

 幽霊(霊魂)や神の存在は、理科系の科学で証明されるかどうかはわかりませんが、時間(時代)も場所も異にする、私の知る限り全ての民族が、何らかの宗教を持っています。これからすると、人間という生物は元々、神とか霊魂とか、何かを感じる生物なのではないかと思ってしまいます。そう考えた方が自然です。

 ただ、その感じる対象や感じ方は、民族によって違うのでしょう。セム・ハム語族は1つの神にしか感じてはならず、偶像崇拝を禁止しています。ユダヤ教などは、嘘か本当か知りませんが、神を意味する「ヤハヴェ」という言葉にすら感じてはならないとして、めったにその言葉を使用してはならなかったそうです(どうやって表現してたんだろう)。そういったことを何千年もやってきたのですから、当然、日本民族とは全く違う民族となります。

 …っと、まぁ、要するに私が言いたいのは、「科学的ではないから信じない」ってことで、感じるものを感じてはならないとする態度は、決して「科学的」なんかではないってことです。真に科学的な態度とは、上記のように、稚拙な知識ではありましたが、「何故感じるのか」とか「どの様に感じるのか」などを探求する態度のことです。そういった意味で、前々回の記事で、津田博士の視点を「科学的」と書きました。

 感じ方や、それから生まれる思想などは、民族の文化の根幹とも言えるもので、死生観や世界観ともなります。「常識」とは英語の"Common sense"の訳語だそうですが、意味は「共通の(Common)感覚(sense)」だそうです。共通の感覚を持っているから、各民族で同じ様なお墓を作るのです。古墳とかピラミッドにしても、唯物史観からは何も出てこず、階級闘争史観では「権力者の庶民に対する搾取」としか出てきません。

 冒頭の「交通安全のお守り」にしても、日本人は何かを感じているはずで、お守りを破いたり捨てたりは、そう簡単には出来ないでしょう。不敬な言い様ですが、天皇のご存在にしても、お守りと同じ様に、日本人は何かを感じているのです。でなければ、「富田メモ」でこれほど大騒ぎになるはずがありません。

 ユダヤ民族は迫害を受けて離散し、言語が通じなくなるほどバラバラになっていましたが、「トーラー」を統合の象徴として民族を維持してきました。日本は天皇に何かを感じていて、その感覚がお墓などの小さい話ではなく、民族国家を形成しています。それこそ天皇を統合の象徴(憲法などとは無関係)とした民族です。

 セム・ハム語族は、上記のように、自分たちの共通の感覚をコントロールしてきましたし、日本民族も神道やその儀式でコントロールしてきたはずです。「富田メモ」が本当に「天皇のご発言」だとしても、天皇は日本人にとって「何かを感じる対象(聖なる存在)」であられると同時に「人間」でもあられます。そこをコントロールする必要があるのに、それが出来ていないようです。

 おそらくその原因は、「天皇は人間」と強調しすぎたからでしょう。先に「科学」と「啓蒙」について、「科学的ではないから信じないってことで、感じるものを感じてはならないとする態度」と書きましたが、これが問題なのだと思います。「天皇は科学的には人間なのだから、たとえ感じていても感じてはならない」という構図は同じで、これでは感じることをコントロールできません。如何に、真の科学的な態度が重要かがわかります。

 この、真に科学的な態度がないと成り立たない学問が、聖書学だそうです。これを日本人の似非科学的・啓蒙的な態度で研究したら、聖書の記述と違う事実が出てきて、キリスト教徒にしてみれば「富田メモ」どころの騒ぎではありません。まるで地雷がゴロゴロ埋まっているような学問です。

 聖書学の研究方法は、津田博士と同じだそうで、聖書の説話の思想(文化的事実)を研究するってことは、自分が何かを感じる思想の根幹を追求し理解しようとすることで、それは聖書の否定でも冒涜でもないってことだそうです。聖書の素材に、古代オリエントの様々な神話や伝承が取り入れられているとした有名な聖書学者は、ドミニコ会の司祭で、それを誰も不思議に思いません。逆に、その取り入れられた神話や伝承がどの様に変形されているかを分析することで、聖書の思想を解く鍵にもなりえるそうです。

 ところが日本では、戦前は神話を歴史としましたので、記紀の登場人物を歴史上の人物としなければ不敬罪と言われたそうです。そこで記紀を説話とした津田博士は告訴されたのですが、現代でも、記紀を歴史として解釈しているのは同じで、「デタラメが書かれているから信用できない」としています。戦前も戦後も歴史と神話を混同しているのは同じです。

 何だかいつものとおり、思いつきでダラダラと書いてしまい、まとまりがなく、何が言いたいのかわからなくなってきましたが、要するに、幽霊から書き起こして日本の「科学的」を批判し、真の「科学的」態度でいきましょう、ってことが言いたかったのです。そうすれば、天皇の「聖なる存在」と「人間」の二面性をコントロールできるのではないか、ってことです。

 もう一つ、「聖なる存在」と感じることをコントロールできていないので、闇雲に「人間」であられる天皇や皇族の方々に「聖なる存在」を求め、それで人間としての天皇や皇族の方々が窮屈なお立場になっているのではないかとも思えます。それを解消する為にも、私たちの感覚を「科学」することは有効だと思います。

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 前々回の記事(歴史と神話)に、かついちさんからコメントを頂きました(いつもありがとうございます)。この、かついちさんのご指摘に触発されて、色々な事が頭に浮かんできまして、この記事とも関連していると思いましたので、ここに転載し、返事を書かせて頂きます。
かつて昭和天皇は「独白録」の中で戦争の敗因を「精神に重きを置きすぎて科学を忘れたことである」という趣旨のお言葉を述べられたことを思い出しました。陛下がおっしゃる「精神」「科学」は相反するようで実は重要な対極にあるような気がします。精神を重要視することは大事ですが、科学を度外視することは戦争に限らずあらゆる時代の進歩に取り残されてしまうのではないかということを教えてくれているようです。
このトピとずれてしまいましたが、歴史的事実と文化的部分は昭和天皇のおっしゃったような「精神」と「科学」に相通じるものがあるような気がします。

 昭和天皇の「精神に重きを置きすぎて科学を忘れたことである」という趣旨のお言葉を、私も聞いたことがあります。ただ前後の脈絡を知らないので、よくわからないのですが、日本の「精神」と米国の「物量」と解釈していました。しかし、かついちさんからのご指摘を受けると、色々な事が頭に浮かんできます。

 日本では「物量」では敵わないので「精神」で水増しし、「精神vs物量」で戦いましたが、マッカーサーは占領時、天皇の力(精神)を「何個師団」と仮定し、本国に対して天皇を処刑しては、多大なコストが掛かると訴えていたそうです。現代でも「精神」は重要で、兵士の士気(精神)を無視はしないでしょう。ただ、元々「精神」と「物質」は物差しが違うのですから、単純に比較できません。マッカーサーの方程式が合っていたかどうかは分かりませんが、何らかの方程式で単位を揃えて比較しなければなりません。日本はそれが出来なかったのだと思います。

 この「精神」を方程式で変換するってことは、「精神」を理論としていなければ出来ません。そこで上記の「科学的態度」が必要になるのだと思います。

 昭和天皇のお言葉からは、そんなことを妄想してしまいました。

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内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。昭和天皇はさまざまな分野で冷静な物事の判断を下されています。先の「精神に重きを置きすぎて科学を忘れたことである」というあたり、さすが科学者だなと思いました。終戦後のいわゆる「人間宣言」を一つとっても陛下は先見の明があったと思います。「朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。天皇をもって現御神とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。」 昭和天皇は実に開明的な思想をお持ちだったようで、側近に「朕はおまえたちと同じく血も流れている」と語ったことや「天皇機関説」をよく理解されていたといいます。世間一般に語られているような閉鎖的なものではなく、実は国民の誰よりも陛下ご自身が日本のことをご存じであったのではないかと思います。
かついち
2006/08/08 08:23
こんにちは、かついちさん。
 そうですね。昭和帝は科学者でしたね。ですから、大変「理」を重んぜられたように拝察しております。「富田メモ」にしても、まだ信憑性は明らかになっていませんが、もし本当に昭和帝のお言葉だとすると、所謂A級戦犯の合祀について、「A級だから」という理由ではなく、例えば「軍人ではないから」とか、何か選定基準で「理」に適わないとお考えになったのかもしれません。徳川侍従長がそんなことを言ってたような…。

 昭和帝は、戦前、軍部の機関説排撃について、本庄武官長と、しばしば議論しておられたそうです。「天皇と議論」などと、私には中々想像できませんが、しかし昭和帝は、明治帝の五箇条のご誓文と新旧の憲法を大変大切にされたそうです。そのご誓文には「万事公論に決すべし」とあり、立憲君主のお立場を頑ななまでに守られました。そんな昭和帝が、議論することを悪い事とされるはずがありません。靖国の問題も、私達で議論し、「理」に適うものにしたいですね。
カァ
2006/08/08 17:08

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